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戻った都会の自宅は人工音だらけなのだが、そこではぐっすり眠れるという。虫の音に美しさを感ずるのが日本人の感性で、「騒音」と見なす西洋人とそこがちがう―というのが長らく日本人ユニーク論の論拠のひとつだったのだが、そういう日本人はやがて絶滅に向かうだろう。
「文明開化」の代償日本の赤ちゃんの〝人相″がわるくなっている―と開いた時はさすがにショックだった。
そう言うのは、小児科医、保健所長、大学教授などを歴任しながら、四〇年余この道ひと筋、この国の赤ちゃんを見てきた女医である。
どう人相が変わったかと一口で言えば、表情が乏しくなったのだと言う。
子どもの目に光がない、表情に乏しいと言っても、これまで述べてきたように、それは育つ環境のせいであり、それを変えればどうにかなるだろうと思ってきた。
ところが、問題がこの世に生まれてきた途端に始まっているのだとしたら、ことはさらに深刻である。
だが、生まれながらにして、と言ってもやはり生後の育て方と大きく関係していることで、母乳で育てる、「赤ちゃんをあやす」といった基本的なことに始まって親の〝関与″の度合いが低下しているのが主な原因ではないかと言う。
赤ちゃんはあやし続けることで、だいたい三〇日を過ぎると笑うなどの反応を示し始めるのだが、これを省くと表情の乏しい幼児になっていく。
テレビの前に赤ちゃんを置いて、いわば育児をテレビに預ける親が増えていることに対して、小児科学会は正常な発育に有害だとして「生後二年間」はこれをやめるよう警告を発している。
背中におんぶする、添寝する、といった濃密な接触を伴う日本型の育児法が近代的でないとしきりに言われた時期があって、近代型のモデル、本場とされたアメリカと赤ちゃんとの接触度が逆転してしまったという分析調査が出たのは、もう二〇年以上も前のことで失われた「子どもの楽園」ある。
赤ちゃんを前に抱くのは親が転倒した時に危険、乳母車は赤ちゃんの視界を狭めるのに対し、背中におんぶすると、辺りを高い位置から眺め下ろすことができ、「世の中」への好奇心を刺激することができるーと今では「おんぶ」が再評価されているのだが。
親たちはそれからさらに忙しくなり、核家族、少子化も伴って子育てが下手になっていき、マニュアル化した。
こうした「子どもの現況」は過去にこの国の子どもがどうだったかを知ればなおさらショックが深まる。
『逝きし世の面影』(渡辺京二著)という名著がある。
一九九八年に九州の出版社(葦書房)が出版したが絶版となり、二〇〇五年に平凡社ライブラリーとして再刊されて、今では入手できるようになった。
幕末から明治にかけて日本にやって来た欧米人たちの見聞を分析したものだが、彼らがやって来て観察した場所はそれぞれに異なり、互いにそれほど情報交換したわけではない。
それどころか、欧米各国の人たちは、それぞれの下心と思惑があってこの閉ざされてきた国にやって来た。
そういう異なる観察者と観察地点の見聞のなかに共通点が抽出できれば、そこにはある種の客観性が出てくるだろうという、おもしろい試みである。
もちろん、やって来た欧米人たちは自分たちの文明に優越感を持ち、「未開野蛮の地」を見下す視線は避けがたいし、人種的偏見もあったろう。
にもかかわらず、そこに描き出されているのは、全体としては讃嘆に値する、簡素とゆたかさ、親和と礼節が同居し、陽気さを備えた文明であった。
そして、なかでも絶讃されているのが「子どもの楽園」としての日本である。
「私は日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。
しかし日本の子供たちに魅了されない西洋人はいない」(ムンツィンガ1)。
彼らの多くが注目し、記録しているのは、街をわがものにして遊んでいる子らの姿である。
「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」(スエンソン)、「子供たちの主たる運動場は街上である」(ネットー)、「街頭で最も興味ある光景は、子供の遊戯」(クラーク)、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」(アーノルド)……。
そうやって大事にされ、自由にされている「彼らほど愉快で楽しそうな子供たちは他所では見られない」「ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」「何とかわいい子供。
まるまると肥え、ばら色の肌、きらきらした眼」(傍点、失われた「子どもの楽園」私)Iと手放しの讃えようである。
私たち日本人が「文明開化」(近代化)の代償として失ったものを、渡辺京二氏は別出しているのだが、この喪失を時代とともに深めていった主因は何か。
私は教育における「速度」が大いに関係していると思う。
わずか一二歳、わずか一五歳、わずか一八歳、そしてたかだか二二歳前後での「学力」で輪切りをしながら人の値打ちを決めようとする性急な教育の仕組みが必然的に求めてくる「速度」のことである。
こうした速い教育と対比して遅い学習とは何かを私たちは考えなければならない。
そのことは別の章(第九章)で触れる。
ふ急ぐことで失うもの急ぐことで失うものJR西日本事故と九〇秒日本社会が共有している「時間」についての「強迫観念」が背景にあったのではないか―。
「ニューヨーク・タイムズ」紙はそう書いた。
西日本が尼崎市で起した大惨事(二〇〇五年四月二五日)が世界中のメディアで大きく報じられたのは、犠牲者の多さもさることながら、「安全神話」が広く信じちれてきた「あの日本で」、という驚きがそこには作用していた。
いつも事故続発の国でこういうことが起きたら、それは大したニュースにはならない。
さまざまな原因が働いて起きた事故にはちがいないが、前の駅での一分半(九〇秒)の遅れを取り戻そうと運転士が焦って速度を上げていたこと、その背景に日本の交通機関のきびしい「定時運行」の慣習があったことは明らかである。
「安全」と「定刻」とが両立していたことが世界的に驚異と見られてきたのだが、前者を犠牲にしてでも後者を追求しようとしたのだから「強迫観念」と呼ばれても仕方がない。
「倒錯」と言われてもやむをえない。
日本人の定時、定刻への執着は長らく称謀の対象であったと同時に、ひそかな椰撥の的だったことも私は個人体験として知っている。
日本での国際的な会合で、主催者の懸命な努力にもかかわらず定刻が守れなくなった時、外国人参加者たちは大喜びしたものである。
「日本人も(時には)人間だったんだ」と。
JR西日本の事故の顛末には、次々と〝ロボット化″した人間像が登場した。
上からの指示と規律に縛られ、それに馴化されて、自己判断に乏しい群像である。
「媛急自在」という絶妙な熟語を生んだご先祖を持ちながら、そこに「自れが在る」と言いがたいのが悲しい。
そこに表出しているのは、人は何のために生きるのか、人が作った集団・組織が何のためにあるのかが忘れ去られ、むしろ主客転倒してしまった姿である。
「そんなに急いでどこへ行く」が問われるのは、何もーR西日本だけではない。
偶然だが、この運転士が必死になって取り戻そうとした「九〇秒」は、欧米の鉄道では急ぐことで失うもの誤差の範囲内と見なされている長さだった。
つまり、九〇秒、列車が延着しても「定刻」と見なされる。
五分以上遅れた時に「遅れ」扱いとする所もあり、よく知られるようにイタリアでは列車は遅れるほうが常態とされてきた。
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